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競争法を勉強中。

ともだち(2ラウンド目)

昨日は、タイから留学してきている友人二人とご飯を食べた。

一人は、昨年同じ大学院で過ごし、間もなく本国に帰国するという彼。もう一人は、今私が所属している大学院に去年から在籍していて、何かと親切にしてくれる彼女。

非常に誠実な人柄の二人で、私の拙い英語を頑張って聞いてくれるし、ビックリするような暴露の応酬もあったりして、それはそれは楽しい時間を過ごせた。

ただ、彼の方とは、実はそんなに親しく話したりしたことはなかった。

それには、私の方に大方の原因がある。去年、彼は大学の近くの寮に住んで、同級生と多いに交流を深め楽しそうな日々を送っていたのに対し、私は、英語ができないコンプレックスからか、同級生と接触を持つことが日に日に億劫になり、心を開けないままにモヤモヤとした毎日を過ごしていた。

正直言って、わいわい騒いだりする同級生のことを、仲間に入れないという疎外感も手伝って、疎ましいという気持ちで眺めていた。自分には家庭があるし、その家庭をしっかり守りながら地道に勉強をすることが自分の果たすべき役割だと、自分にいつも言い聞かせていた。今のマズい状況は、自分が作り出したものではないと思いたかったし、自分には自分なりの過ごし方があると信じて毎日をやり過ごすことで、本当の問題から目を背けることに必死であった。

このような考え方は、自分の置かれた良くない状況を何とか正当化しようとするが故の逃避的で歪なものであることは言うまでもない。なぜ自分が同級生と積極的に交流できないのか、なぜ居場所がないように感じてしまうのか、本来であれば、留学をすることに決めた目的と併せて精一杯考えてみるべきだったと、後悔している。問題点を認識し、自分なりに突き詰めて考えない限り、問題が解消されることはない、当たり前である。情けないったらありゃしない。

そんな中、先月、別の友人経由で、彼がもうすぐ帰国すること、今自分の居住エリアのすぐ近くに住んでいることを知った。どことなく気まずいなという気持ちもあったが、思い切って彼に連絡を取ってみることにした。彼からは、すぐに「連絡をくれてありがとう!」という明るい返事が返ってきた。素直に嬉しかった。

話してみると、彼は彼でいろいろと悩んでいたことが分かった。順調に見えた彼の生活も、葛藤や息苦しさとセットだったのだと知った。そして、彼は意外に私のことを知っていた。彼のことをあまりに知らない自分が恥ずかしくなった。

別れ際には、酔った勢いもあってか、絶対もう一度会おう、できれば仕事以外で、とはにかみながらハグしてくれた。こんな感じで友人と過ごしたのは、本当に久しぶりで、戸惑いながらも、なんだか胸にジーンと来るものがあった。

時折、物事が自分のいいように転がり始めるのを「待ってしまう」というのは、自分の悪い癖であるが、そんな風に過ごしていると、本当は手にしたいものを取り逃がし、マズいなと思ったときには、もう引き返せないところまで来てしまっていたりする。その悪癖のマイナスのインパクトが最大級のレベルになってしまったのが、去年の留学生活であった。

でも、昨日の友人との再会を経て、改めて思った。まだまだ自分は変わっていける。変わっていけるから、諦めたり不貞腐れたりしてはいけない。ただし、変わってはいけるけど、その原動力となれるのは、自分以外にはない。自分を原動力に使いたければ、自分のダメな部分と向き合うことから逃げてはいけない、と。

長々と書いてみたが、当たり前のことばかりじゃないか、と人様からは怒られそうな内容である。それでも、いつか自分が読み返してみたときに、やっぱり大事なことだと思う内容なのではないかと思い、書き留めておくことにした次第。