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競争法を勉強中。

ブラックジョーク

最近、教授陣が事例をおもしろおかしく説明しようとする際に、「銃で撃たれたら」というケースを多用することに気付いた。その教室のすぐ側で、けたたましいサイレンの音が鳴り響いたり、無線で活発にやり取りする警備員がいたりと、全然笑えないのであるが、アメリカ人学生はというと、結構笑っている。文化の違いを感じる。

そういえば、日本で受けた刑法の授業でも、教授が、「私はこの教室で数え切れないほどの人を殺してきました(ニヤリ)」など、数え切れないブラックジョークを飛ばしては、大してウケてなかったことを鮮明に覚えている。

と、ここで思い出したのが、以下のニュース。


教員が講義の例示で「学長殺す」…富山大謝罪へ : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

無味乾燥な法律の概念をどのようにして理解してもらうか、という観点からは、卑近な例を用いて説明することが有用なのは間違いない。また、講義の記憶を鮮明にとどめてもらうという観点からは、その具体例がインパクトのあるものであることが望ましい。 実際、上で述べた大学での刑法の講義の内容は、具体例が印象的であればあるほど、記憶の鮮度が落ちにくかった(し、実際、今でも結構覚えていたりする。)。

キャラクターや話し方が影響したのかもしれないが、具体例を用いた説明が、学生の理解促進のための努力の1つの発露であるにかかわらず、こんなに大事になってしまって、当事者である先生としても、どこか遣り切れないところがあるのではないかと思う。他大学の先生方(特に刑法の先生)も、こんなことにまで気を遣わないといけないなんて、さぞ大変だろう。

大学の対応も、正しかったのだろうか。このニュースを見る限り、学生が大人として振る舞うことを諦めてしまっている気がしてならない。

(参考)


【大学教育】刑法の講義で「学長殺す」は不適切?法学者は困惑 - Togetterまとめ